pain

イラスト   あまな



 運動会というイベントを楽しむためには次のようなスキルが要る。大きく分けて、人並みかそれ以上の運動能力。そして祭りを楽しむ能力。これらのどちらか、あるいは両方を幾許かでも持ち合わせていれば、そうそう運動会を不快には思わないはずだ。
 しかしその両方が欠けている場合、往々にして運動会は単なる苦痛を与える場でしかなくなり、たった今女子更衣室に入ってきた少女は運動もコミュニケーションも極めつけに苦手であった。もちろん少女自身も楽しむつもりで来たわけではなく、さぼる根性も負け戦に特攻する気概もないので、とっくに競技の始まっている現在になってようやくわけもわからずふらふらと訪れたに過ぎない。
 何も悪いことなどしていないのにおどおどしていて、誰もいないのにきょろきょろ辺りを見回し、足を引きずるように歩けば頭と同じくらい大きな巻き毛が二つ、力なく揺れる。体操着の詰まった手提げ袋と異様に目つきの悪い兎のぬいぐるみを手にぶら下げ、更衣室のど真ん中で立ち尽くす。さぼる根性がないからここまで来てしまい、負け戦に特攻する気概もないから着替えることもできない。
 壁ごしの歓声で我に返る。
 くもりガラスの窓に駆け寄り、背伸びして鍵を開け、おそるおそるスライドさせると、

 祭りがあった。

 大昔のコントに出てくるよりまだ何倍もでっかい金だらいに大盛りのお菓子が積まれている。白くて丸くて、何て名前だっけ。その常軌を逸したオブジェは何と四つも並べられており、さらに凄まじいことにそのうち三つには生き物が取り付いて一心不乱にお菓子を食いまくっている。何故「生き物」と表現するのかと言えば、そのうち一人は白衣を着て直立歩行し手を人間のように器用に使う猫だからである。他の連中も仮装大会に出るのかと見紛う程のコスチュームで、皮ベルトがたくさんついた改造体操着を着た女の人が次に目を引く。
 たぶん、何かの競技なのだと思う。彼女らが食ったお菓子を数えてみる。いちにーさんしーごー。全くペースが落ちなくてびびっていると、
 ――どよめき。
 三人のうち最も普通っぽく見える、体操着に白のオーバーニーソックスを穿いた少女が、九個目を頬張った時点で口から泡を吹いてぶっ倒れた。いかにも急ごしらえの運営テントに動きがある。ナースキャップを実にかっこよくかぶり、「救護班長」と大書きされたたすきをかけた女の人が駆け寄る。どうするのかと見守っていると、手際よくオーバーニー少女を介抱しおんぶしてテントに運んでしまった。観衆が残念そうな声を上げる。
 ライバルの脱落をよそに、残った白衣猫とベルトの人は五十個を越えてもまだ食い続け、それでもたらいの山はちっとも小さくなる気配を見せず、いい加減数えるのに飽きてきたところで、
 確か、猫が口にしたお菓子だと思う。
 ぱぁん、と気の抜けた音とともに、二人の首が吹っ飛んだ。
 文字通り首が飛んで転げたのだ。
 何が起きたか一瞬理解できず、どうやらお菓子に爆薬が仕掛けられていたようで、何だか色んな液体が飛び散る中、今度も運営テントから人が出てくる。その女の人はハチマキと「救護班(特)」と赤字で大書きされたたすきと膝まで届く白衣とやたら細長いものばかり身につけていて、あくびまじりに余裕ぶっこいて歩くその様子にハラハラしていると、猫に近寄り白衣のポケットから接着剤と思しき(ラベルも何もないのでよくわからない)チューブを取り出し、ぶちまけるように切断面に塗りたくると、バスケットボールを扱うかのように無造作な動作で首を拾い上げ、ねじこむように胴体とドッキングさせる。女の人は何やら猫に文句をつけているようで、地団太を踏み手を振り回し、ずれた首のまま肩をすくめる猫の頭にメスを突き刺しドスドスとテントに戻る。女の人がいなくなったのを確認すると猫は自分の手で首の位置を微調整し、メスが刺さった頭のまま何事もなかったかのように競技に戻る。まだ完全にくっついていないのか時々頭に手をやる。
 一方ベルトの人はもうベルトの人ではなくなっていた。真っ黒に塗りつぶされた全身にぎろぎろと目玉が浮き出て、太陽が暑いくらい照っているのに影はさっぱり消え失せていて、腕がわさわさとうごめき獣の首のような形を取る。もげて転がったままの首は「ケケケケケケ」と元気そうに笑っていて、新しく生えた首がそれをばりばりと食ってしまう。「うぎゃー」とわざとらしい悲鳴がここまで届いた。そしてホラー映画のモンスターと化した元ベルトの人は何事もなかったかのように競技に戻る。獣の口がお菓子を貪る光景はものすごくシュールだった。
 喝采。


 窓を閉めた。
 自分は、あそこにいちゃいけない人間だと思った。
 いても何も出来ないし、何も面白いことはない。
 それでもまだ帰って布団かぶって寝る決心がつかず、しかし少しでも祭りから遠ざかりたくて、窓からも入り口からも遠い闇のわだかまる隅っこに移動する。壁に背をつけて座り込む。膝に顔を埋める。床を通して腹に歓声が響き渡る。運動会の狂騒が死にたくなるほどに悲しく腹立たしく妬ましい。
 ぬいぐるみをぎゅっと握り、誰も見ちゃいないのに泣くところを隠したくて顔のところに持っていき――
「遅れたー!」
 景気よく入り口が開かれた。
 びっくりしすぎて本当に死ぬかと思った。
 闖入者は入り口につっかえそうな長い剣を備え付けの椅子に置いてロッカーを開けて中を確認し手にした着替えを放り込むと防寒の役には絶対立たないだろうと呆れるくらいの薄い服むしろ布きれを上品な動作で脱いでたたんでロッカーにしまって、
 ――わーわーこの人はいてないはいてないよ!
 突然自分が下着をつけていたか心配になる。だいじょうぶはいてるちゃんと毎日代えてる。
 次にどこからツッコミを入れていいかわからないぴっちりした露出箇所の多い体操着もとい布きれをつけて髪をまとめて手馴れた動作でひっつめにしてごっついブーツの紐をきつく結びなおし準備万端とばかりに剣を手にして更衣室から出ようとしたところで、
 ――わーわーこの人直接ブルマはいてるはいてる!
「どうかしたの?」
 話しかけられた。
 硬直する。じっと覗き込まれる。汗が吹き出る。とにかく何かリアクションをしなければと思い首を横にぶんぶん振る。咄嗟に謝りそうになったが堪える。はいてない女の人は何かを思い出すかのように首を捻り、その答えが見つかったとばかりロッカーに取って返し手に紐のようなものを持って帰ってきて、
 頭にハチマキを巻かれる。後頭部できゅっと結ばれる。額にかかる髪をかきあげられて、「よし、似合う」とか無責任に言って、今度は手が差し出された。
 まるで怯える小動物のように映っただろう。女の人が目を瞬かせ、手を引っ込めると得心したように頷き、ひょいっと子供のように抱っこされて、いや実際に子供なわけだが、とにかく椅子に座らされて、
「危うく忘れるとこだったよ」
 はいてない女の人が自分の頭にハチマキを巻く。
「見つけたら渡してくれって頼まれてさ」
 じょじょに理解が広がる。はいてない女の人が顔を近づけ少女が真っ赤になるのもかまわず頭を撫でて、
「赤組どうし、がんばろう」
 頑張りたくなかった。着替えたくないし外に出たくないし人と喋りたくないし走ったり跳んだりしたくない。何もしたくない。でも、
 十秒くらいかけて、ゆっくり頷く。まばたきを忘れていたせいで目が乾く。
 動作を終えたら凄まじい疑心暗鬼が襲ってきた。きっとこの人もいったん外に出れば他の友達がいっぱいいてどこかに行ってしまうに違いない。見捨てられるに違いない。こんなことを考えてる自分が大嫌いだ。それでも、
「一緒に行こう。待ってるから」
 ――負けた。
 さぼる根性なんかこれっぽっちもなかったし今だってないが、負け戦に特攻する気概なら少しだけ出てきた。
 目の前に勝利の種がある。傷つくのを怖れるな。一生隅っこで泣いて生きていくつもりか。
「自己紹介がまだだったね――」
 はいてない人の言葉を遮り、どもる口を叱咤しながら先に言わせてくれと頼む。
「あっ、あの……」
 少女がたどたどしく喋る。女の人はじっと聞いてくれている。
 壁ごしに「餡子の詰めすぎにご注意ください」というアナウンス。
「私の名前は、」
 運動会に、行こうと思う。





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